連絡船


JRがまだ国鉄だった頃、日本で海峡を渡る連絡船は北に青函連絡、瀬戸内海には宇高連絡船、仁堀航路、そして宮島と四つあった。

仁堀航路を除いて いずれも乗船したことがあるが それぞれ旅情のあふれていて 旅にきたなと思うものであった。それぞれで嬉しい出会いと悲しい別れがあったとおもう。旅立つ人を乗せた船と見送る人の居る桟橋を結ぶ幾重の紙テープが心と心を結んだ光景も失われた。

トンネルや超大橋によって 船もそれらの情景も無くなり、代わりに利便性は向上したが なにか大事な人と人の結びつきや 旅の情緒は失われてしまった。