花の少ないこの時期青々とした葉と黄金色の実とで珍重される。

そもそもは平安時代の内裏つまり皇居の紫宸殿の正面、左手に桜右手に橘が植えてあり「左近の桜、右近の橘」と称されたことに起因している。もともとその昔桜は梅だったそうだ。橘は冬でも葉が青々して不老不滅の非時香果である。そののち雛人形では絹を用いた造花「有職造花」を折々の行事に飾る慣習から十七世紀前半元和寛永の頃、後水尾天皇中宮東福門院和子が人形を愛でたことが公家に広まった。此れが雛人形の起源とされる。

以上、或る本からの受け売りであります。